先生セキララ日記 ~幼稚園の現場から~

幼児教育・子育てについて、幼稚園教諭の視点から綴ったブログです。現役の先生、保護者の方、これから先生になる人達と一緒に考えていくことを目指しています。

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「資質・能力」にもとづく教育課程の特徴とその意義・課題

奈須正裕の『「資質・能力」と学びのメカニズム』 を読んだ。

そのうえでで「資質・能力」にもとづく教育課程の特徴とその意義・課題について考えてみたい。

「資質・能力」にもとづく教育課程の特徴

変化が激しく、未知の課題に対応することが求められる知識基盤社会では、「情報の信頼性や妥当性を正確に判断するための知識や技能[1]」、「膨大な情報の中から自身の目的に合ったものを的確に選び出し、組み合わせ、そこに独自な意味を創出し、さらに相手に合った手法で表現する能力[2]」が求められる。

 こういった背景を踏まえ、平成29、30年に改訂された幼稚園教育要領・学習指導要領では、「知識及び技能」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」を3つの柱とした「資質・能力」を育成することが新たに示された。「資質・能力」は、「何ができるようになるのか」を重視する概念[3]であり、奈須は、「どのような問題可決を現に成し遂げるか[4]」という言葉で表現している。「資質・能力」にもとづく教育課程には、以下の特徴があると考える。

1.「何を学ぶか」(教育内容): 各教科の「見方・考え方」

2.「どのように学ぶか」(教育方法):.アクティブ・ラーニング、「主体的・対話的で深い学び」

3.「何ができるようになるか」(学力の概念):非認知能力の含有

1.「何を学ぶか」(教育内容): 各教科の「見方・考え方」

一つ目の特徴は、教科を通して、各教科の「見方・考え方」を身に付けさせることである。奈須は、教科をしっかりと教える中で、「子供たちが明晰な自覚を持ってその教科ならではの『見方・考え方』を身に付け、さらにその教科が主に扱う領域や対象を踏み越えて、それらを様々な問題解決に自在に駆使できるようになること[5]」が、資質・能力を身に付けた状態であるとしている。さらに、「新学習指導要領において各教科を教えるとは、その各教科等ならではの特質=『見方・考え方』に照らして、その子の『有能さ』がよりよく顕在化・拡充・洗練するよう支援することだ[6]」とも述べている。

意義は、学習の転移や汎用的な資質・能力につながる。教科の「見方・考え方」を働かせて物事を考えたり対象にアプローチしたりすることは、単体の知識や考え方を習得することではなく、系統的に学びを習得することである。奈須は、教科を学ぶとは、「知識の構造化のありようが、その教科の親学問が持つ固有な構造に近似していくよう組み変わり、洗練されていくこと[7]」と述べている。それは、様々な場面で、身に付けた知識・技術を活用、応用しながら問題解決をする力につながっていくと考える。

また奈須は、「『見方・考え方』を働かせて個別具体的な対象にアプローチするからこそ、それに見合った『思考力・判断力・表現力等』や『学びに向かう力・人間性等』が培われ、もちろん知識や技能も、この営みの結果として無理なく習得できる[8]」と述べている。

 これらを踏まえ、課題は、教師の教科内容に対する理解・研究である。奈須も、「個々の教材やその取り扱い方を研究する教材研究より一段奥にある、教科内容そのものの研究」が不可欠であると述べている。しかし、個々で研究を行うような努力義務では、教師の質に差がつき、結果として授業を受ける子どもの学力に差がつく。そのように考えると、学校が一体となって、教科内容の研究を進めたり、公開授業を通して、多角的な視点で授業を振り返ったり、他の学校・教師の授業を見て良さを取り入れたりして、教科内容の研究を深めていくことが今後の課題であるといえる。

2.「どのように学ぶか」(教育方法):アクティブ・ラーニング、「主体的・対話的で深い学び」

 二つ目の特徴は、アクティブ・ラーニングや「主体的・対話的で深い学び」という教育方法である。奈須は、「人はそもそもアクティブに、コンピテンス的に学ぶのであり、実はそのようにしか、ごく自然には学べない[9]」と述べている。また、学校教育の在り方を考える上で参考になる学びの方法として、幼児教育で展開されている学びを挙げている。その理由は、「幼児教育での学びはすべてが渾然一体となって進んでい」くこと、そして、その中で「培われているのは資質・能力そのものだから[10]」である。

意義は、第一に、人間のもつ学びの特性をいかしている。人間は、乳幼児期から、能動的に人や環境にかかわり、その中で、ものの意味や関係性等を学んでいる。アクティブ・ラーニング、「主体的・対話的で深い学び」は、本来人間がもつ学びの特性を、そのまま学校教育でもいかし、学びの方法に連続性を持たせることができる。このように考えると、幼小接続に際しても、子どもの学びがつながることで、子どもの戸惑いや負担を減らすことができると考える。

第二に、学習に対する興味・関心が高まることや、自分とのかかわりを感じながら学びを体得していくことができる。アクティブ・ラーニングや「主体的・対話的で深い学び」の実現においては、「学習者である子供が現在所有している既有知識や既有経験を足場に、それを教科の系統に沿ったものへと修正・洗練・統合していくような授業づくりを進める必要[11]」がある。子どもの既有知識や既有経験を足場にすることは、学びへの興味・関心につながると考えられる。そして、自分とのかかわりを感じながら学びを体得していくことができる。何よりそれは、子どもたちにとっては、「楽しい時間」「面白い授業」となるであろう。

第三に、資質・能力を一体的・総合的に育むことができる。アクティブ・ラーニングや「主体的・対話的で深い学び」は、第二の意義で述べたように、既有知識や既有経験を足場とするので、興味・関心につながりやすい。そして、興味・関心は、新たな学びへの意欲につながっていき、獲得されている既有知識や既有経験を用いて、「思考・判断・表現」しようとする。そして、その中で、「学びに向かう力・人間性」を発揮し、新たな「知識・技能等」を獲得していく。このようにして、「知識・技能等」「思考力・判断力・表現力等」「学びに向かう力・人間性等」といった資質・能力を一体的・総合的に育んでいくことができる。また、こういったプロセスは、螺旋上に洗練されていく。

第四に、教科等横断的な学びが可能になる。アクティブ・ラーニングや「主体的・対話的で深い学び」は、色々な教科の要素が入り混じっている。実際の社会生活の中でも、教科の枠組みにとらわれずに課題解決をすることが求められる。

第五に、他者との協働的な学びを通して、人とかかわる力を育成することができる。知識基盤社会では、他者とのかかわりが重要になる。ひと・もの・こととの相互関係の中で学ぶ「主体的・対話的で深い学び」は、人と協力したり、異なる意見をどのように統合させていったりするかという人とのかかわりについて、直接的、具体的に学んでいくことができる。

一方、課題については、第一に、教師が、学習内容だけでなく、子どもの内面を多面的に理解する必要がある。子どもの興味・関心や生活経験、既有知識・経験等を含めた子ども理解が求められる。

第二に、教師の技術である。同じことをねらいにした授業でも、「主体的・対話的で深い学び」は、相互性の中で行われるため、子どもたちの実態により、授業の題材、発問、展開は異なってくる。子どもの主体性をいかした授業ができるよう、題材、発問、展開の仕方等を、目の前の子どもたちの状況に応じて考えたり、臨機応変に対応していく力が必要となる。

3.「何ができるようになるか」(学力の概念):非認知能力の含有

三つ目は、学力に非認知能力を含めていることである。奈須は、意欲を「教育的な育成や改善の対象となる[12]」と述べている。新学習指導要領に明示された3つ柱の中では、非認知能力を「学びに向かう力・人間性」として表現している。

 意義は、第一に、豊かな人間性の涵養を学校教育の中で行うことが目標の一つとなる。非認知能力は、これまで学校教育では直接的に取り上げられてこなかった。しかし、豊かな人間性の涵養は、一人の人間を育てる上で欠かせない。また、生きていく中で、他者と話し合ったり協力したり、共に新しい考えを生み出すなど、他者と協働していくことが必要である。非認知能力は、人と協働するために必要な力である。

第二に、非認知能力は学習の基盤となる。奈須は、成長的マインドセットは「仲間との関係性、経験する感情や形成される自尊心、そして従来型の成績はもとより、学び取られる知識や技能の質に及ぶ[13]」と述べている。また、「メタ認知が高い子は、新たな領域を一から自力で学び進めることができ、熟達化する速度も速いことが知られてい[14]」る。つまり、非認知能力は、学びの質や効率に影響を及ぼすのである。マクレランドは、職務上の業績や人生における成功について、大きな影響力を示すものは、「意欲や感情の自己調整力、肯定的な自己抑制や自己信頼などの情意的な要因であり、対人関係調整やコミュニケーションにかかわるスキル等[15]」であるとしている。これらを含めて、非認知能力が学力として含まれ、学校教育の中で育てられることの意義は大きい。

課題は、第一に、非認知能力の評価方法である。非認知能力は目に見えるものではなく、測定することが困難である。また、見る人の視点によっては、異なった見方となる。

そのため、子どもの様子や発言、学びに向かう姿勢等、表面上のものだけでなく、“どうしてそのような行動をするのか、考えるのか”という視点をもち、内面をよみとろうとする教師の姿勢が求められる。また、安易にチェックリストにあてはめるような方法ではなく、他の教師や保護者との話し合いや、エピソード記述等を通して、多角的に、深く子どもを理解することが求められる。

注意すべき点は、非認知能力における評価は、子どの人格について善悪をつけるものであってはならないということである。評価することは、学びの方法や内容を含め、教師の日頃の教育について改善を行う視点であることを、教師自身が意識する必要がある。

第二に、非認知能力の育成方法を社会全体で共有することである。奈須は、幼児教育で展開されている学びが、学校教育の在り方を考える上で参考になると述べている[16]一方で、「時折、旧来の小学校のまねをして要素的な知識・技能を教え込もうとしている幼稚園も見かけ[17]」ると述べている。これは、一部の例ではなく、往々にして見られる例である。このようなことがなぜ行われるのかというと、一つには、目に見えないものは評価されにくく、目に見えるものが評価され、取り上げられるからであると考える。二つは、非認知能力の重要性や非認知能力の育成方法が社会全体に共有されていないからであると考える。

成長的マインドセットを伸ばしていくためには、学びの過程や頑張りを認めるなどが有効であるが、そういった非認知能力を育む方法や「目に見えない教育」の大切さを、社会全体で共有する必要があると感じる。

以上、「資質・能力」にもとづく教育課程の特徴とそれぞれに対する意義、課題について述べた。「資質・能力」にもとづく教育課程は、創造的、独創的な授業展開の可能性を秘めている。「資質・能力」は教師にとっては、意図的、組織的、計画的に実現を目指すものであるが、子どもにとっては、「涵養する」という言葉が適合しているように思う。「主体的・対話的な学び」を通して、各教科の「見方・考え方」を育み、その中で「資質・能力」を洗練させていけるよう、教師の質を高めたい。

参考文献

・奈須正裕 『「資質・能力」と学びのメカニズム』 東洋間出版社. 2017年

・教育哲学会 「教育哲学研究」第119 2019年

・ぎょうせい編『新教育課程ライブラリⅡ vol.3 「深い学び」を深く考える』ぎょうせい. 2017年



[1] 奈須正裕『「資質・能力」と学びのメカニズム』東洋間出版社、2017年.p91

[2] 前掲注(1)p91

[3] 教育哲学会「教育哲学研究」第119 2019年.p1

[4] 前掲注(1) p25

[5] 前掲注(1)p117

[6] 前掲注(3)p6

[7] 前掲注(1)p124

[8] 前掲注(1)p132

[9] 前掲注(1)p53

[10] 前掲注(1)p53

[11] 前掲注(1)p125

[12] 前掲注(1)p73

[13] 前掲注(1)p77

[14] 前掲注(1)p82

[15] 前掲注(3)p3

[16] 前掲注(1)p53「幼児教育で展開されている学びが、その先の学校教育の在り方を考える上で非常に参考となります」と記されている。 

[17] 前掲注(1)p53

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