先生セキララ日記 ~幼稚園の現場から~

幼児教育・子育てについて、幼稚園教諭の視点から綴ったブログです。現役の先生、保護者の方、これから先生になる人達と一緒に考えていくことを目指しています。

これから先生になる人にむけて その他いろいろ

教育支援センター(適応指導教室)での子どもたちの本音と変化から教育支援センターの役割を考える

教育支援センターに継続的にボランティアに行っている。

その中で見られる子どもの姿から、子どもの思いについて考えてみたい。また、子どもの思いや成長を振り返る中で、教育支援センターの役割として大切であると感じたことについて記したい。

Aについて

Aの姿と背景にある思い

第一に、子ども(A)について記載する。Aは、7月に会って以来、学習時や自由時間、登下校時等至る場面で、否定的な言動が多く、また、モチベーションが低く、気になる姿を見せていた。否定的な言動とは、たとえば授業が始まる際には、「めんどくさ」とつぶやいたり、自由時間に「だる…」と言ってためいきをついたりしていた。

 自由時間には、先生から遊びに誘われると参加したりしなかったりしていたが、遊びに入り失敗すると、遊びのルールのせいにしたり、「体が痛い」と言ったりする姿が見られた。

 一方、授業中一緒に過ごす際に、Aが「勉強遅れてるから」と、下を向きながらも私に伝える姿が見られた。否定的な言動や低く見えるモチベーションは、勉強が遅れていることへの不安や、できなこいことへの劣等感から自分を守っているのではないかと考えた。

Aへの援助と変化

そのため、“できる・できない”ではなく、過程を認めたり、Aの良さを言葉にして伝えたりして、自己肯定感をもてるよう願いながらかかわってきた。

 そのような過程の中で、数か月して、授業時間の中で、Aが間違えそうな問いについて、すぐに指摘せず、気づきを待ったり、気づきを促す声かけを行い、自分の力で問題が解けたと思えることで、達成感を感じることができるよう配慮した。そして、時間をかけて問題を全部解き終わり、先生から「全問正解」と言ってもらうと、「やった!」と喜ぶ姿が見られ、自分で解けた喜びや満足感、達成案を感じている様子がうかがえた。

 そのあと自由時間に遊んでいるときには、笑顔や活発的な様子が見られ、私とのかかわりの中でも、会話が弾んでいた。そこで、遊んでいたゲームの「作戦タイムしよ」と提案し、Aとの距離を縮め、連帯感をもてるよう考えた。この日は、普段聞かれる否定的な言動は一切聞かれなかった。

さらにその後しばらく日がたったころ、皆にクッキーをつくって一人ひとりにプレゼントをする姿が見られた。Aはお菓子作りが得意だと聞いていたが、これまで他の子どもとの積極的なかかわりが見られなかったため、お菓子をつくって、皆のために持ってくるということに驚いた。

お菓子を頂いたことのお礼や味の感想等をAに伝えると、嬉しそうな照れたような、はずかしそうな笑みを浮かべいて、人に喜ばれる喜びをかみしめているように見えた。

人のためにつくること、プレゼントをすることで人とのつながりをもとうとしていることや、集団の中で自分の得意なことを発揮しようとしていることに、Aの成長を感じた。

変化の背景

このような一連の過程の中で学んだことは、まず、表面的な言動の背後には、Aの現状に対するもどかしさや苦しさ、将来への不安、自信のなさなどがあるということである。そして、その思いに寄り添い続けることや、Aの本当の願いや思いはどのようなものなのかをよみとり、かかわることの大切さである。その思いの実現を支えることが、教育の大きな役割であることと感じる。

次に、自己肯定感や自信をもてるようになることで、他者とのかかわりが広がっていくということである。Aの場合は、勉強が自分の力でできたという達成感や、遊びの中で自分の力が発揮できたことの満足感が一つの要因となって、自己肯定感をもてるようになっていったのではないかと考える。(私がかかわらせていただいているのは、Aのほんの一部でしかないので、私の知らないところに他の要因があり、それと重なっていることももちろん考えられる。)また、お菓子をつくって皆に喜ばれたことで、自分の存在を確かなものとして感じたり、必要とされる喜びを感じたりしていたと考える。

勉強への思い

印象に残ったことの第二は、子どもたちが勉強を頑張る姿である。先述のAも、否定的な言動が見られる中でも、授業の最後にまとめとして自分に必要と思われるものをノートに書き写す姿が見られた。Hは、私が実習に行かせていただいた日には、ほぼ自習をしにに来ていた。その中で、自ら「これ(古文の単語)おぼえるし、左(単語の左にかかれている意味)言ってもらえませんか?」と自分から必要な勉強法を私に伝え、繰り返し取り組んでいた。Ⅿは、夏休みに、前年度の学年の分を含め、遅れを取り戻そうと懸命に勉強しており、学習室のほかにも塾に通っていることを聞いた。

これらのことから学んだことは、学習室にきている子どもの多くが、勉強をできるようになりたいと感じていることである。このことは、自分自身と向き合うことにもつながっているのではないかと思う。

自己発揮できる場の大切さ

印象に残ったことの第三は、一つ目に挙げたこととも通じるが、教育支援センターに来ている子どもがいきいきと過ごす、もしくは過ごすことができるようになる姿である。会話が少ない子どもも、自由時間には、遊びを通して友達とかかわったり、学習室から帰る際、友達に手を振って帰ったりする姿が見られた。「クリスマスパーティー」では、得意な”おわらい”を披露する子どもがいたり、司会を任され役割を果たそうとする子どもがいたりした。ほかにも、はじめは緊張が強く、ささいなことで謝っていた子どもが、10月には、表情がやわらいでいたり、授業中、椅子に座る際、姿勢を崩して座ったりしていて、リラックスして過ごす姿がみられるようになった。

こういった姿を見て学んだことは、まず、居場所をつくることの大切さである。そして、居場所をつくるのは、人なのだということを感じた。学習室の先生方・他の子どもへの信頼や安心感をもつこと、認められる場があることの大切さを実感した。

つぎに、教育支援センターは、不登校の子どものための施設であるが、困りやしんどさを抱えている子どもがもつ、本来の力を再発揮することができる場になるということを学んだ。

さらに、教育支援センターは、社会とのつながりの場であるということである。学校に行くことが全てではない。本来校に戻ることができるように、学習室がその橋渡しとなることも、学習室の大きな存在価値の一つであるが、本来校に戻ることを目標とせず、その子どもが自らの存在意義を感じ、社会の中で生きていくことができるように援助することも教育支援センターの大きな役割であると思う。

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