”先生が絶対”の保育をしない!先生の言うことを聞く子が”いい子”という見方をしないで!
先日、「(ペットボトルのキャップが)固くて開けられない」と言っている子に対してそのクラスの担任であろう先生が「それくらいさっさと開けなさい」とヒステリックに怒ったり行動がゆっくりな子をひっぱるように連れて行ったりされているお姿を見ました。
その空間にいると悲しくなり
クラスの中で、保育者が絶対ではないのに、なぜそんな言い方をするのだろうと思うことがあって・・・。
人間だから、つい感情的になってしまうことだってあるとは思います。
けれども、否定をされたり怒られたりすることが続けば、子どもは萎縮して自分を発揮できずに伸び伸び過ごすことができなくなったり自己肯定感が育たず、良さが発揮されなくなったり意欲が見られなくなったりします。
先生が上・子どもが下・という関係ではなく、当たり前のことですが、子どもだって、一人の人間として尊重しなければならないのです。
先生の言うことを聞く子が”いい子”という見方をしていたり、正しいか正しくないかだけで子どもを見ること、子どもの心は育ちません。
そして、保育者の主観で一場面だけを見て物事を判断し怒るのではなく、その子がなぜそういう言動をとっているのか、子どもの心の声に耳をむける必要があると思います。
言葉にならない思いがあったり、ただわからなかったり、気持ちはあるけど言葉や行動に繋がっていなかったり・・・色々なことが考えられます。
子どもの気持ちに配慮すると、ただ上からきつく言って聞かせるということはできないはずです。
また、どんな性格も良い面と悪い面があります。
マイナス面に思えることも、違う観点からみたら、良さになることだってあります。
大人だってマイナス面を良いように言ってもらえる、また良いように思ってもらえると、気持ちが楽になりますよね。
ぐずぐずじれったいように見える子は、見方を替えると、慎重であったり穏やかであったり・・・。
他のことに目もくれず遊び続けている子は、集中力があったり夢中になれるものがあったりするという見方をすることもできます。
見方をかえると、その子にかけることばがけも違ってきます。
そして言葉がけが違うと、その子の反応も異なってきます。
ありのままの自分を受け止めてもらえる人がいるという思いをもてることは、大人だって子どもだって大切です。
一人ひとりが発揮できるクラス運営をしていくためには、また、心の根っこを育てるためには、子どもが居場所を感じてすごすことができる空間をつくること、受け止めてもらえる人がいること、子どもの主体性が生かされた保育が展開されることが大切だと思っています。
一人ひとりを大切にした保育をしていきたいと思います。
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