それって、ほんとに「わがまま」なの?自閉症スペクトラムの子への援助について考える
2018/01/02
3歳児のクラスに、自閉症スペクトラムの子がいます。
その子の特性の一つとして、見通しがもてないことに対して不安を感じるということがあります。
だから、行事や初めての活動、遊びに対して「やりたくない」とと言うことが多かった。
(現在は、どんなこともまずはやってみる姿勢をもつことができるようになっています。その過程についても、また違う機会に書いていきたいなと思っています。)
どんなことをするのかわからない、イメージがつかみにくい、だから不安でやりたくない・・・というよりもできないという思いがあるようです。
でも私は今・その時は無理に強制することはしなくていいと思っています。今日できなくても明日はできるかもしれない。泣きわめいているその子をひっぱって無理やりやらせることよりも、その子がやってみたいと思ったときにすることに意味がある。
だからといって何もしないわけじゃない。
まずは落ち着いたところで二人で、これからどんなことをするのか伝えます。イメージがもちにくいから絵や写真を使って一つずつ丁寧に伝えます。
そこで、全体の活動に入れることもあるし、入れないこともある。入れないときは、”じゃぁ好きにしなさい”とその子が好きなことをさせるのではなく、しなくてもいいから、見ていてもらいます。この子の場合、その場にいることに意味がある。
そして、まずはほかの子どもたちがやっている様子を見ていてもらいます。そうするなかで、していることのイメージが膨らみやすくなる、そして仲の良い子が楽しんでいるのを見て、自分もやってみたいという思いをもつことができるようになるかもしれない。
現にそうしてこれまで遊びや活動の幅を広げてきたのです。
この時も次の日は一度だけやってみることができました。
前日に見ていたからと言って、突然「じゃぁ僕やる!」というわけではなく、活動の前に、「今日はね、こうしてこうして、こうするよ。」「大好きな〇〇くんは、この時にこんなこと(楽しんでいた言葉)を言っていたよ!」などと前もって話し、気持ちを向けられるように配慮します。そのうえで、「どうする?」と尋ね迷っていた様子が見られました。このタイミング!ここだ!と思いました。
「先生と一緒にやってみようか」と言葉がけると、「うん」と頷きみんなの輪に入ることができたのです。
でも、それを見ていた他クラスの先生が「あの子ってわがままじゃない?」と言いました。これまでにもこの子の特性、生長過程、課題を伝えてきたので、驚きました。
その先生の主張は「やりたくないことをやらなくていいというのはわがまま。」「だから調子にのってどんどんやらなくなる」というもの。
定型発達の子で、そういった子も現にいないわけではないと思います。
でも、「やりたくないからやらない=わがまま」という単純な話ではなく、不安が強い、イメージがもちにくい、こだわりがある、納得できないことを強要されると非常に強いパニックに襲われるという特性をもっている子。
そして、その子自身がしたくてもできない、という困りを抱えているのです。
発達障害における特性はわがままじゃない。その子自身の困り。
なのに、教育現場で発達の特性とわがままを同じように扱う言葉が聞かれたことはショックでした。
不安で号泣してパニックになっている子に今無理やりやらせて、じゃぁ次もやろう!という気持ちをもてるようになるとは思わない。
みんな一斉に同じことをさせること、みんなに同じ指導をすることがいいとは思わない。
「活動できた」という結果だけを見るのではなく、その子が「やりたい」と思えるように配慮し、気持ちを育てていくことのほうが今は大事だと思う。
ということを伝えました。
確かにクラスの活動に入ることは大切だと思います。
だから、「やらなくていいよ」では終わらせていません。
継続した援助が必要だと思うし、一人ひとりに合った援助をしなければないらないと思います。
一人ひとりにあった援助というのはどういうものなのか、考えていきたいと思っています。
情報交換・共有できるサイトを目指しています。
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